【感想レビュー】2015版ファンタスティック・フォーを観なくていい4つの理由
アメリカでの評判も散々だったファンタスティック・フォーが日本上陸
2015年8月7日に全米で公開された映画『ファンタスティック・フォー』。日本では少し遅れて10月9日(金)に全国で公開となっています。
MARVELの人気同名コミックシリーズの映画版。既に2005年と2007年に実写化がされており、今回の作品はリブート版としての再出発…となるハズでした。
「これは酷い」レビューが続出
最近の『アベンジャーズ』およびその関連作品の大ヒットの流れに乗って、キャストやストーリーを一新して再出発したファンタスティック・フォー。
前回の実写版はポップでちょっと子供向けアクション映画な部分がありましたが、リブート版は予告編を見る限りシリアスで壮大なスケールを思わせる映像で、期待が高まっていました。
ところが、蓋を開けてみれば内容は散々。
アメリカの映画データベース&レビューサイト『IMDb』のユーザーレビューでは10点満点中4.1点。
2005年の第一作目は5.7点となっていますので、アメリカの映画ファンの目には「前作以下」と写ったのが現実のようです。
前評判が悪かっただけに、HEROSTAND編集部でも『大丈夫かな…』という思いで劇場に足を運んだのですが、まさしく評判通りの「ダメだこりゃ…」な作品でした。
では、この映画のどこがどうダメだったのか?
この記事では、その理由をファンタスティック・”フォー”にちなんで、”4つ”の理由を挙げさせて頂きます。
…ちなみに、本当はダメなポイントがありすぎて4つでは到底収まりきらなかったのですが、なんとか4つにまとめてみました。
※ややネタバレを含みます。
理由1:「これは僕の映画じゃない」カットされた重要シーンが多すぎる!
本作でメガホンを取ったのはジョシュ・トランク監督。
実は、トランク監督と映画製作関係者たちとの間で度重なるトラブルがあり、実際に封切られた映画はトランク監督が作ったものとは別物にされてしまったというのです。
既に削除されていますが、ジョシュ・トランク監督は本作『ファンタスティック・フォー』を巡るいざこざに疲弊しており、こんなツイートをしてしまった結果、火に油を注ぐこととなり、ますます本作を『いわくつき』の映画たらしめてしまう事となってしまいました。
「1年前なら、”ファンタスティック”なバージョンがあったのに。称賛に値する作品になるはずだったのに。これをお見せする事ができないなんて。本当にキツいよ。」
プロ意識に欠ける
ジョシュ・トランク監督はファンタスティック・フォーの撮影中、出演俳優たちとの不仲や(リード・リチャーズ役のマイルズ・テラーと殴り合い寸前になるまでモメたという情報も)、度重なる撮影の延期や脚本の書き直しなど、映画監督としてのコミュニケーション能力や決断能力の欠如を疑問視されてきていました。
ついにこのツイートがトドメとなり、内定していた映画スターウォーズのスピンオフ作品の監督から降板させられるまでの事態に発展してしまいます。
映画「ファンタスティック・フォー」は未完成
ジョシュ・トランク監督の人格や仕事ぶりに問題があった事は事実のようですが、どうやら本作「ファンタスティック・フォー」は監督が意図した通りに事が運ばず、それ故にせっかく撮影したシーンやストーリー描写の多くが、劇場で上映されている本編に組み込まれていないようなのです。
予告編にあったシーンが無い!
これ、映画史に残る前代未聞の問題だと思うのですが、事前に公開されていた予告編の映像のほとんど、しかも人物描写を深めるシーンや映画のクライマックスでのアクションシーンなどの重要な場面が、本編では20世紀FOXの意向により容赦なくカットされてしまっているのです。
まずはコチラの予告編映像を御覧ください。
まず、ザ・シングとなるベン・グリムが木製バッドでボールをノックし、”GRIMM”のネオンサインにぶち当てるシーン。
一人の若者の心の葛藤を描き出すような情緒的なシーンとなりそう…でしたが、
こんなシーンは本編にはありません!
ジョニー・ストーム「耐熱工事が必要だ」
「それと オレ専用の入り口も」
作りません!こんなシーンは無いからです!
銃撃を受けながらも、もろともせず戦火の中を歩く、迫力満点のザ・シング…。
こんなシーンも、こんな戦闘も、本編にはありません!
満身創痍の状態から、必死に左手を伸ばすリード・リチャーズ。
このシーン、映画のプロモーションでもメインの見せ場のひとつとして大々的に扱われていましたね。
そう!こんなシーンも本編にはありません!
右拳を振り下ろす寸前のザ・シング。こちらも、今回のファンタスティック・フォー内の大きな見せ場となる予定でしたが…
一体、何を殴ろうとしているのか?
その答えは想像にお任せします!そう!こんなシーンも本編にはありませんから!
極めつけは、このシーン。
「制圧までの時間は?」
「2分…」
戦闘機から飛び降りるザ・シング…
そのまま敵の軍用車両を破壊!
ザ・シング「ドヤァ…」
ふーん、すごいね!
こんなシーン、一切無かったよ!
この場面でファンタスティック・フォーは何と戦っているのか?全く不明です!
このように、予告編に使われているシーンだけでも大幅にカットされてしまいます。
日の目を見ることのないシーンは他にもたくさんあるはずです。
たとえば、予告編の冒頭で少年時代のリード・リチャーズが、「大人になったらテレポーテーションを実現します」という夢を語り、教員に「”空飛ぶ車”の隣にあるのかね?」と馬鹿にされてしまうシーンがあるのですが、(これは本編でもあります。)
実はこの”空飛ぶ車”もストーリー上カギとなるオブジェクトとなるはずが、20世紀FOXによって強引にカットされてしまったそうです。
子役のオーウェン・ジャッジくんが演じる小学生のリード・リチャーズが、ぼくは将来、人類で初めて、テレポーテーションをする先駆者になる…!!といった発表を教室で行うや、かたわらの教師が、“ その君が開発したというテレポーテーションのメカは、空飛ぶクルマの隣りにあるのかい?! ” などと、どうやら、空想壁のあるらしい少年を揶揄したツッコミを入れていました。
そして、その教師の言葉に対して、リード少年は、“ それにはもう取り組んでいない… ” と答えていましたが、このやりとりは単に笑いをとるためのジョークではなくて、クライマックスに向けて前フリの伏線として、ジョシュ・トランク監督が意図して仕込んだものだったらしいことが、上 ↑ の写真のように、その問題のクルマが現に登場したことで明らかになりました…!!
バック・トゥ・ザ・フューチャーのデロリアンのような、機械仕掛けの車にスー・ストームが乗り込んでいます。
おそらくこれが空飛ぶ車なのでしょうが、残念ながら映画には一切登場しません。
他にも、こちらのメイキング映像内では、ジョシュ・トランク監督の意図としないところでカットとなってしまった数多くのシーンを確認する事ができます。
理由2:キャラクター描写が希薄すぎる
これだけ様々なシーンがカットされてしまったという事は、他にも物語のディティールを掘り下げるような大事なシーンも削除されてしまっている事は容易に想像できます。
実際に本編では、キャラクターの人間性があまりにあっさり描かれている点が非常に気になってしまいます。
筆者が特に違和感を感じたのは、”岩男”ザ・シングことベン・グリムと、今作のヴィランとなるドクター・ドゥームことヴィクター。
結局引っ張りだされてきただけのベン・グリム
ザ・シングことベン・グリムは、リーダーのリード・リチャーズの幼なじみとして登場。
ふたりが小学生のことから、リードのテレポーテーション装置開発の助手として、ガレージで多くの時間を過ごします。
成長した二人はついに小型のテレポーテーション装置を完成させ、バクスター財団のストーム博士(スー・ストームとジョニー・ストームの父)の目にとまり、奨学金と共にバクスター・ビルの立派な研究施設に招かれます。
そこでサルのテレポーテーション実験に成功したリード達に、「ここから先はNASAと共同で研究を進める」という思いもよらない事実を告げられます。
次は自分たちがテレポーテーションをするべきと考えていたリードの研究チームは、その日の深夜、酔った勢いで装置を起動させ、“一夜のノリ”で異次元にテレポート。
その先で事故にあい、特殊能力を得てしまうというわけです。
画像出典:http://www.examiner.com/article/this-weekend-fantastic-four-gets-a-fresh-start-new-movie
ところで、ベン・グリムは、リードの研究チームのメンバーではありません。
リードが研究開発の場をバクスター・ビルに移してから、二人はほとんど絡んでいません。
画像出典:http://thefineartdiner.blogspot.jp/2015/08/captain-nemo-fantastic-four-pattern.html
それどころか、ベンの日常には触れられてすらいないので、普段ベンが何をしているかもわかりません。もしかしたらニートなのかもしれません。
たまにリードから研究所での写メが送られてきて、それを見てニヤニヤするだけという完全に日陰の存在となってしまっています。
それなのになぜベンが突然リード達と共に異次元に移り「宇宙線」を浴びて岩男ザ・シングになったのかといえば、
酔ったリードが真夜中に電話でベンを起こし、「君がいないと始まらないよ!」と電話で無理やり呼び出した、ただそれだけです!
ベンからしてみれば、ある夜寝ていると突然リードから「今からテレポーテーションするから来いよ!」と謎の電話があり、「い、今から?」と事態をよくつかめないまま研究所に行ってみると、深夜のテンションで悪ノリしてる酔っぱらい達と一緒に異次元に行くことになっちゃった、的な感じです。
友情描写の薄さ
例えば、サム・ライミ版のスパイダーマンでは、ピーター・パーカーとハリー・オズボーンが親友同士であることが、二人の会話や雰囲気だけで充分伝わりました。
画像出典:http://www.hotflick.net/pictures/002SDM_Tobey_Maguire_006.html
また、マーク・ウェブ監督のリブート版2作目『アメイジング・スパイダーマン2』でも、二人の仲の良さや信頼関係はじゅうぶん理解できました。
画像出典:http://reviews.wikinut.com/The-Amazing-Spider-Man-2,-picture-complexity-Life-Superhero/8ipv4_nl/
残念ながら2015年のファンタスティック・フォーでのリードとベンから「こいつら仲いいんだなぁ」「信頼しあっているんだなぁ」と思わせてくれる描写はほとんどありませんでした。
幼少時代、暴力を振るう兄とその不良仲間がたむろする自宅に、自分の居場所を見いだせない中、リードと出会い二人で研究に打ち込んでいく流れが描かれてはいますが、もうすこし二人で協力して研究を進めていく様子や、成功を一緒に喜ぶような描写があってもよかったのではと思います。
また先述したように、青年となってからはリードはバクスター・ビルにこもっており、ベンの出番はほとんどありません。
別の予告編では存在した、ベンがバッターボックスでバットを構えるこちらの映像も本編にはありません!
ファンタスティック・フォーにおけるベン・グリムという男は重要な人物であるにも関わらず、今回の映画では、ただの「リードの学生時代の助手」という影の薄い脇役に成り下がっています。
そんなベンがある夜突然メンバーに酔った勢いで異次元に連れて行かれるのですから、彼の存在にはハリボテのような薄っぺらさを感じます。
ザ・シングと化してからの葛藤もない
ファンタスティック・フォーのメンバー4人は特殊な宇宙線を浴びたことによりそれぞれ特殊なパワーを得るのですが、リードもスーもジョニーも普段は人間の姿を維持できます。
ところがザ・シングだけは常時岩男状態。
世間からは『怪物』と揶揄され、「なぜ自分だけ元に戻れないか」と非常に悩み落ち込むものの、物語が進むに連れて盲目の彫刻家アリシアという女性と出会い、「人と違うのは悪いことじゃないのよ」と励まされ、ついには自信を取り戻し、アリシアと婚約する…という胸熱なストーリーがあるのですが、
今回のファンタスティック・フォーでは、ザ・シングとなったベンが自らの容姿や境遇に思い悩むシーンがありません。
画像出典:http://marvelperil.tumblr.com/post/31702422282/mattasticfour-fantastic-four-30-1964-poor
今作のストーリー展開は非常に強引で、事故によって特殊能力を得たと思ったら、場面は勝手に「1年後」とかっ飛ばされてしまいます。
突然、米軍とタッグを組んで戦地に出向きハルクよろしく戦車をぶん投げているシーンにぶっ飛びますので、ザ・シングの哀しき内面や葛藤に触れられないままストーリーが進行していくわけです。
(ヒューマントーチもいつの間にか”フレイムオン”して自由に飛び回れるようになっているし、インビジブル・ウーマンことスーストームも透明化能力とバリア能力を操れるようになっています。)
ファンタスティック・フォーにおいてザ・シングの葛藤は重要なテーマです。
すっかりネガティブな彼を励ます他の3人のメンバー、特にヒューマントーチことジョニー・ストームは良い意味で面白おかしくザ・シングをからかい、シケたシングの憂鬱をカラっと笑い飛ばすというやりとりがお決まりとなっています。
そんなザ・シングの内面描写がなおざりになってしまっているのがとても残念です。
ドクター・ドゥームの「悪の動機」が意味不明
悪役には悪役なりの理由があります。ダース・ベイダーには彼なりの悲劇や正義がありました。
または、「地球を制服する」という途方も無い支配欲を暴走させ、観客に有無を言わせないくらいの勢いで乗り切るヴィランも存在します。
今回のファンタスティック・フォーではヴィランとなるドクター・ドゥームの「悪の動機」が非常に中途半端で浅く、なぜ彼がそう怒っているのかも全くわからないまま突然ラスボス戦に突入するので、観ている方はポカーンです。
ドクター・ドゥームことヴィクターは、もともとリード達の研究チームのメンバーで天才エンジニア。
ドゥーム”Doom”は”破滅”という意味で、テレポーテーションが実現すれば世界が変わるぞと意気込むメンバー達の中でひとり「この世界にそんな価値があるかね」と疑問を抱いていたひねくれ者の青年です。
そこでスーに「あなたは破滅論者(=Dr.Doom)ね」と冗談を言われるのが、今作で初めて”ドクター・ドゥーム”という単語が口にされるシーンです。
画像出典:http://ciatr.jp/topics/59401
その後リード、ジョニー・ストームと、先述したように無理やり呼びだされただけのベン・グリム、そしてヴィクターの4人が深夜に勝手にテレポーテーション装置を作動させ、異次元の世界プラネット・ゼロに旅立つわけです。
プラネット・ゼロではライムグリーン色した謎の液体物質(=宇宙線)がマグマのように沸き立っており、ヴィクターはその溶鉱炉のような場所に落下。
3人はそれを救えず、そのままヴィクターを置いて逃げ出します。
その後、ファンタスティック・フォーの4人の治療の手がかりを探すため、バクスターの調査チームが再度テレポーテーション装置からプラネット・ゼロに降り立つと、死んだと思われていたヴィクターが出現。
身につけていたスーツが溶けて体と一体化し、こんなおぞましい姿となってしまっていたのでした。
画像出典:http://www.comicvine.com/forums/gen-discussion-1/doctor-doom-2015-no-spoilers-1699313/
地球に連れ戻されたヴィクターは、治療の提案をされるも拒否。
「あの世界で生きるパワーをもらった。俺はこのパワーで地球を破滅して新世界を作る!」という夜神月もビックリのぶっ飛び中二病理論で大暴れ。
研究所の人々をぶっ殺しまくります。
ここに至るまでの動機が完全に意味不明。
アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロンでのウルトロンは、「地球の平和を脅かしているのは他でもなく人類自身だ」という、(ありがちではありますが)「まぁ確かにそうかもね」という納得の余地を与えてくれていました。
一方今作でのヴィクターは、なぜそこまで地球を憎んでいるのか、なぜ彼にとって地球は破滅させなければならないのか、彼は地球を破壊して結局どうしたいのかという考えがほとんど明かされません。
いきなりヴィクターがブチ切れサイコ宇宙野郎と化して破壊行動を起こし、ファンタスティック・フォーが「よし!4人で協力して奴を止めよう!」とか言い出す流れはもはや失笑しかできません。
市民との絡みもなし
前作ではキッチリ描かれていたましたが、ファンタスティック・フォーの面々はMARVELヒーローとしては非常に珍しく、世間に素顔を明かして生活しています。
4人は国民から歓迎・尊敬され、いわばセレブのような境遇を得ているのです。
今作では、そんな4人が市民と絡むシーンはなし。後述しますが、研究所に引きこもっているか異空間に行くかだけなので、街に出ることもなく鬱々としています。
まるで妖怪人間ベム・ベラ・ベロのようにジメジメとした4人。こんなのファンタスティック・フォーじゃないよ!
理由3:アクションシーンの少なさとショボさ
進まないストーリー
今回のファンタスティック・フォーは、とにかくテンポが悪い。
そもそも4人がスーパーパワーを得るまでの流れが非常に長く、やっとヒーローになったかと思えば、「1年後、彼らはこんな風に訓練し、能力を自分のモノとしました」とでも言うようなダイジェスト映像にまとめられてしまっています。
こちらのレビューサイトでは、今作のファンタスティック・フォーにおける物語の「時間配分のバランスの悪さ」を的確に指摘しています。
本作の何が問題なのかと言いますと、時間配分が圧倒的に間違っていることにほかなりません。
もういいや、言ってしまうと本作はヒーローの能力を手に入れるまで1時間10分くらいかかり、ヒーローとして活躍するのは終盤のたったの5分くらいです。(中略)
<2005年版>
(能力を手に入れるまでの)人間ドラマ:開始から15分
ヒーローとして活躍!:開始から30分<2015年版>
人間ドラマ:開始から1時間10分
ヒーローとして活躍!:開始から1時間35分(残り5分)両者をグラフにするとこんな感じになります。
物理的に、ヒーローとなってからの時間が短いので、当然アクションシーンの時間も短くなります。
短いばかりか、彼らの特殊能力を活かした魅力的なアクションはありません。
能力を活かしきれない4人と、連携プレーの皆無
特にゴム人間リード・リチャーズはワンピースのルフィよろしく体を自由に伸縮させ、観客をワクワクさせるような全く新しい映像を創り上げる事もできたはずなのに、この能力を大して活かしません。
それどころか、クライマックスのシーンではドクター・ドゥームの超能力によって動きを封じられ、その場にねじ伏せられてしまうのですが、画的には薄暗い荒野でウンウン唸りながらダラーンと手足を伸ばして倒れるだけなのでビックリするくらい地味です。
ついでにどさくさにまぎれてザ・シングも岩で固められ身動きが取れなくなり、隣で「助けてくれ!」とか叫んでいます。何を観せられているんだ。
また、「マーベル初のヒーローチーム」をPRしていたのに、アベンジャーズのようにあっちではハルクが暴れ、こっちではソーとキャプテン・アメリカが連携プレーを決め、上空ではアイアンマンが飛び回り、ホークアイがサポートして…というような、チームならではの連携プレーもほとんどありません。
登場シーンはほぼ研究所と異次元だけというスケールの小ささ
今作は、ほとんどバクスター・ビルの研究所と、プラネット・ゼロという異次元の荒野だけで物語が進行します。
突然「地球を滅ぼす!」とか言い出して暴走するドクター・ドゥームと、「地球を守る!」と奮闘するF4ですが、肝心の「地球」を感じさせる描写はありません。実際のバトルは研究所と異次元世界だけで勃発するので、こいつらは何をやっているのか、何をかけて戦っているのか、そのスケール感が全く伝わってこないのです。
特に異次元であるプラネット・ゼロは、漫画ドラゴンボールに登場するようなだだっ広い荒野で、おまけに暗い。
ここで彼らなりに頑張って戦闘を繰り広げるのですが、場所が悪いせいかイマイチ臨場感がありません。
画像出典:http://www.sandiegored.com/noticias/65498/Lanzan-el-trailer-final-de-Fantastic-Four/
ただの暗い空間にいるだけ。
「地球ではない」場所での戦いを違和感なく見せてくれた、ガーディアン・オブ・ギャラクシーの出来の良さを改めて思い出させてくれるという点では、本作も少しは価値があるかもしれません。
画像出典:http://www.comicscube.com/2015_04_01_archive.html
アベンジャーズやトランスフォーマーのように、ニューヨークが襲撃されて人々が逃げまとう…というシーンはありません。
…まぁ、街に敵がやってきてパニック映画のように市民が逃げまわるシーンはもはや食傷気味ではありますが。
加えて先述したように、4人が能力を得て、ドクター・ドゥームが暴れだすころには映画の終演時間が迫っておりますので、クライマックスとなる戦闘シーンはもはや「オマケ映像」レベルです。
理由4:マーベル・シネマティック・ユニバースの他作品との関連性の無さ
アイアンマンやキャプテン・アメリカ、マイティ・ソーといったアベンジャーズ関連作はすべてMARVEL STUDIO制作の作品です。
今回のリブート版ファンタスティック・フォーは、もちろんMARVEL原作の作品ですが制作は20世紀FOX。
その為、他のマーベル・シネマティック・ユニバースとの絡みは一切ありません。
9月に公開されたアントマンでは、新アベンジャーズのファルコンが登場したり、劇中にもアベンジャーズ絡みの単語が度々言及され、さらにアントマンが2016年公開予定の「キャプテン・アメリカ シビルウォー」への参戦が決定するなどしていますが、
リブート版ファンタスティック・フォーはそういった関連性は皆無で、完全に独立孤島状態の映画になっています。
今作の出演メンバーが今後アベンジャーズの面々と映画の中で絡んでいく事も一切ありえません。
なので、「今後のMARVEL作品をより深く楽しむために、一応ファンタスティック・フォーも観ておこう」という理由で劇場に足を運ぶ理由はないのです。
また、MARVEL映画で毎回恒例となっている、スタン・リーのカメオ出演も今回は無し。
ほか、エンドロール後のオマケ映像のようなものも用意されていません。
筆者は騙されたような想いで映画本編を見終えた後、「まだエンディング後のオマケ映像があるかもしれないな…」と劇場に居残り続けましたが、結局最後まで何もありませんでした。
とっとと席を立って早く帰ればよかった…。
何もかもが中途半端だったリブート版ファンタスティック・フォー
ネット上では、4人が異次元空間で事故にあい特集能力を得るまでの、前半のドラマ部分は概ね悪く無い評を得ています。
個人的には、リード・リチャーズとベン・グリムの幼少時代から描くというのは良いアイデアだと思います。
二人がガレージでこっそり組み立てていたテレポーテーション装置がニンテンドー64で動いているなど、
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や、J.J.エイブラムス監督の『SUPER8』を思わせる「少年の好奇心・冒険心」×「技術・テクノロジー・SF」というところから始まり、大いに期待を煽ってくれました。
画像:http://www.wired.co.uk/news/archive/2015-07/14/fantastic-four-reboot-new-trailer
ところが時間が進むにつれ、間延びしたテンポや浅い人間ドラマ、アクションシーンの少なさ・ショボさ、理不尽な悪の動機など、すべてが空回りし、実に中途半端な仕上がりになってしまいます。
また、ポップでコメディータッチな場面も多かった前作を意識してか、今回はシリアス路線を狙っている感じはしますが、結果としてただただネチネチして暗いだけの印象になっています。
やりたい事はわかるんだけど、なんだかなぁ…という。
本作の上映時間は1時間40分となっていますが、こんな内容なら45分のドラマの1話分にも収められるくらいのボリュームだったかもしれません。その分、ダラダラと引き伸ばされたような、水で薄めすぎたような印象がありました。
そうですね、1時間40分の映画にするくらいならむしろ全12話くらいの連続ドラマとして、それぞれの人物描写をもっと丁寧にやってほしかったです。
そうすればベングリムは「借りてきた猫」状態にならなかっただろうし、ドクター・ドゥームの悪の動機ももっと納得できるものになっていたかもしれません。
また、ザ・シングの葛藤も描かれ、それを茶化すジョニー・ストームとの絡みも楽しめたはずです。
ていうか、前作ではちゃんとあった。
今作は興行的にも大コケ。本国での評判もさんざんだったせいか、心なしか日本での広報も控えめだったような気もします。
アメイジング・スパイダーマンシリーズも不評で打ち切りになってしまったし、リブート版作品は不遇な目にあってしまうジンクスでもあるのでしょうか…?
次に読むのはコレ!
所属: Marvel